日本の歩道の歴史

日本では、幕末まで車輪のついた乗り物が例外的な存在であり、道が基本的に歩行者のものであったことから、「歩道」という用語自体が近代までなかったものと見られている。また、日本の道路において、歩行者のみが通行できる「歩道」の文化や概念がなかった。日本の道路に歩道が出現したのは、馬車が導入された幕末から明治初期にかけてのことで、開港場につくられた外国人居留地で、最初に歩道が誕生したとの説がある。横浜市ある日本最初の様式公園で、日本のテニス発祥の地としても知られる山手公園は、その周辺遊歩道も日本で最初につくられた遊歩道といわれる。この遊歩道がつくられた経緯は、1862年(文久2年)8月21日に発生した生麦事件で、横浜に居留していたイギリス人のリチャードソンら4人がピクニックで多摩川へ向かった際に、薩摩藩・島津久光の行列の前を乗馬のまま横切り、薩摩藩士一行に切りつけられて殺された事件がきっかけである。各国の領事たちは江戸幕府に対し、安心してピクニックや馬の遠乗りを楽むための遊歩道と公園の設置を何度も求めた結果、幕府は遊歩道と公園の設置を許可し、公園に先立ち石畳の遊歩道が完成した。

また、銀座煉瓦街などは早期の代表例といえる。このほかに、鎖国時代に唯一外国と交流があった長崎は、日本の歩道発祥の地だという説もある。

歩道としての人道が整備されたという古い記録では、1805年(文化2年)に、東海道の京都にある日岡峠 – 大津間で、人が歩く道と車道を区別した道路が建設されたという記録がある。また、1872年(明治5年)に、東京の道路において、馬車道と人道を区別して、その境界に樹木を植えるように御触れが出されていた。

歩道の必要性が認識され始め、本格的に整備されるようになったのは、1903年(明治36年)に自動車が初めて日本に輸入されて以降のことである。1919年(大正8年)の街路構造令には一定の条件下での歩車道分離が盛り込まれた。1960年代からの急激なモータリゼーションにより交通事故が多発した。交通事故死者中、歩行者の割合が高く、歩車道の分離が不十分であるとの認識から、交通安全施設として歩道の設置が進められた。1972年(昭和47年)に5,590キロメートルだった歩道の設置延長は、1975年(昭和50年)春には39,000キロメートルと7倍近くの伸びを見せた。

ウィルウェイウィルウェイウィルウェイウィルウェイウィルウェイウィルウェイウィルウェイ